柱や梁を組み上げてできた骨組みを架構という。かつて日本の伝統的家屋では架構が空間を仕切り、インテリアやファサードにも現れていた。私たちはこの架構のデザインを大切にしている。


空間を構成する架構の中にいて特別な体験をすることがある。

函館市西部地区の金森倉庫群は明治42年頃に倉庫として竣工したものが原型であるが、現在も本来の用途に縛られないダイナミックな空間が一部に残り、ファサードの煉瓦の表情は経年の風情ある景観をつくり出している。

敷地は函館湾の最奥にて、函館山を背に三方を埋立地と人工島に囲まれた「内海」に臨み、その「内海」に面する波止場と直交して細長く4棟の倉庫が並ぶ。ベイエリアの背後に走る開港通りから敷地にアクセスすると、向かい合う低層の長い煉瓦壁の奥に「内海」がのぞく。その「内海」まで歩いて振り返ると波止場に面して切妻の煉瓦壁が並び、それぞれの小さなアーチ状の開口部が観光客を迎え入れてくれる。

かつて海運で栄えた時代と比べるとわずかとなったが、ヨットやクルーズ客船、漁船が離着岸する波止場では今も海とともに生きる人の営みをわずかに感じられる。外海につながるという意味でほとんど無限に広がる「海」と、地場の「土」を焼き固めた煉瓦から成る建築群の対比が美しく、船乗りの郷愁を誘う。

ベイエリアのメインストリートとなる波止場は全体が港湾施設として管理運営されているが、その真ん中を走る車道が「内海」と倉庫群を分断している。そのため波止場が広場として機能することは期待できない。そして一部で別の建築により海への視界が閉ざされていることが重なり、ここに街の遺構に対する尊重は感じられない。両者は周辺一帯のランドスケープとして整備されるべきである。


ベイエリア全体の中では倉庫群の外観は可愛らしいスケールであるが、小さなアーチをくぐると一転する。インテリアは薄暗がりに林立する巨大な「柱」と木造小屋組が際立ち、その架構に圧倒される。一抱えもある檜の「柱」は小屋組を支えるというよりも切妻屋根全体を押し上げるように力強く、トップライトから差し込む光がその効果を増幅させている。しかし何よりも、その巨大な「柱」によって鉛直の力を支える空間と「内海」の水平に広がる景色の対比により、劇的な空間の変化が生まれている。

明治40年の大火後間もない建築であったため、煉瓦を屋根に敷いてまで火に備えたそうである。その重たい屋根をトラス構造だけでは支えられないと判断し、「柱」にも荷重を逃がす設計にしたわけである。その「柱」と小屋組の仕口部分に、補強材として充てがわれている逆L字型の弓形の方杖が特徴的であり面白い。通常斜材で補強するところであるが、Lという木材にとり不合理な形を、樹の幹と枝にまたがる部位から木取りしていると考えられる。補強材も架構の一部としてデザインされているところに意識の高さを感じる。煉瓦壁においては最上部で小屋組の敷桁により外へと迫り出されてコーニスとなる。これが外壁面にアクセントをつくり、特に波止場に面する妻側を風格あるものにしている。


構造の根幹をなす架構は、周辺環境においてどういう建築であるべきか推こうを重ねた末に形となっていくものであろう。環境と良好な関係が築かれた架構が素の空間にいて、人は心安らかでいられるのかもしれない。建築がその環境の一部であると感じられるような設計を心がけている。


※建物内部はヒストリープラザ棟についての記述

小澤武

1952年富士市出身

1983年小澤建築研究室開設

千葉大学工学部建築学科卒

一級建築士

小澤健

1983年函館市出身

早大芸術学校建築設計科卒

二級建築士